れですも色々

セキュリティコミュニティ・コンセプト


講師の方々とこの企画の話になったとき、「コンセプトは?」と問われました。

当初、何も考えずに「場所あります」と声を上げただけだった私には、問われるまで余り考えていなかったことでもありました。

ここに書く事が最終的な「コンセプト」といえるかどうかは判りませんが、メモとして備忘録として書いておきます。

「セキュリティってプライド」というのが今のところのコンセプトですね。

日本語に無理矢理すると自尊心というよりも羞恥心に近いニュアンスでしょうか。


私が2年間、ここの日記で非常に広い範囲で語ってきた事は、本人としてはセキュリティ関連のつもりでもあります。

国際金融、国防、歴史などですね。

セキュリティ関連で言えば現時点で非常にマスコミ報道の多い「情報漏洩」というのは本来はそれが原因で戦争に負けて国家の存亡の危機を招くような大事なのです。

今、戦争があるかもしれないと煽っている訳ではありません。

日本はとっくに経験しています。

また、数多くの歴史の中にも情報漏洩、情報の使い方を甘く見た為に存亡の危機を招いた国家もあります。


国際金融は現時点では完全に世界市場になっていまして、数年前には国際金融市場の判断・・・だけで一国の経済が破綻寸前までゆきました。

しかも現状の国際(に限りませんが)市場はコンピューターが僅かな動きに連動し、プログラムによって「トレンド」を読み、または作り出していますね。

最終的な判断は人間がするといってもそれまでの分析や予定数値がコンピュータの中のプログラムでなされているのはある程度事実です。

経済というのは国の根幹でして、また国というのは何とかして国民を食べさせなければならない。

これが明確な理由がある破綻ならまた理解もできるのですが、さしたる大きな破綻といえるほどの理由もなく、破綻寸前に追いやられる怖さを私達は見てきました。

同時にこれまでの「文系国際経済学」の終焉も。


では情報セキュリティ「コミュニティ」は一体どういう役目を担おうとしているのか。

非常に緩い繋がりと、また広範囲な人材で形成されるコミュニティは、ある意味団体や組織の持つ余計な「配慮」がありません。

人と人を繋ぐ、「この人なら」という気持ちで形成されている為に「セキュリティは人」という根本的なものを正面から見据えられます。

#会社や組織の名前だけではものを見ないという事です。
#その人自身の信用だけがコミュニティを形成するといってもいいかもしれません

個人的には。
「北海道情報セキュリティコミュニティ」は完全な第三者の目として、なにものにも余計な配慮のない「この人なら大丈夫」というお奨めのできるものになる事を目指しています。

冒頭で「自尊心」「羞恥心」と書いたのは、それらは他に向けるものではなく、自ずから律し、また心の中で持ち続けているものだと思います。


会合自体のコンセプトというか宿題に。
「日本人自身の歴史的民族性はセキュリティという考え方に向かないのではないか」という話題も出ました。

これはこれからしばらくかかって考えてみようと思っています。

2004.6.25


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